【みー】いつだって自分史上最高の私へ。

2026.03.16

変わっていく現実の中で、私と一緒にいるということ


こんにちは、みーです。
(みーちゃん、って呼んでください)




朝から両親と、
お墓参り&祖母のホームへ行った帰りの電車でのこと。


午後のはやい時間の空いている席に座りながら、
私はえもいわれぬ気持ちとともに、
外を眺めつづけていました。




こんな気もちになる背景には、
ふたつのことがあって。


①育った家が売却されることが決まって引き渡しまであとわずかなこと
(95歳の祖母がホームに入ってから2年ほどそのままになっていました)

②70代母の老化が予想より早く進んでいること


このふたつのできごとを、
受け止めるさなかにいたから、です。






わたしたちは
「今」にいられなくなるとき、

猛烈な不安を感じるな、と思っています。


(これは子どもにたいして不必要に怒ってしまうときも、
感じることです)



・きっとこうなるだろうという(未来)予測
・過去にこうだったからという(過去)データ


これらは時に必要な思考だと思うけど、

自分ごとそこに飲み込まれたとたん
「今」を受け止める余白を奪ってしまう、

とも感じていて。




過去や未来に飲み込まれたとたんに、

じゃあどうしたらいいか?っていう
”対処”に自分のメモリを使ってしまい、

「今私はどう感じているのか」を感じる余白が
なくなってしまうんですよね。





わたしたちは、
「不安」「不確実」を嫌う傾向にある。

とっさにその不安定さを
どうにかするか、避けなければ、

と脳が働く。

(そうやって生きてきた歴史があるから)


でも、

刻々と変わっていく「今」を受け止めること、
どんな「今」もどんな「感情」も受け止めることからしか、


「じゃあわたしはどうしたいのか」っていう
自分の本心を感じる余白は、

うまれないんじゃないかと。



不安を感じやすくて、
そこにのまれやすい私だからこそ、

思うことなんですよね。




電車から降りて家についたあと、

涙があふれて。

でも不思議と、
心は受け止める準備を始めているような、
気がしています。





週のスタートの月曜日から
しんみりした話題になってしまったけれど、


刻々と変わっていく「今」を受け止めてあげることで、

わたしは、
わたしと一緒にいてあげたいなと思っています。




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