2024.04.05
こんにちは、みーです。
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昨日の
お誕生日感謝企画
メルマガ読者さん限定おしゃべり会(第2回)
にご参加くださった皆様、
ご参加ありがとうございました!
(参加時にいただいたメールアドレスへ
ご感想フォームを送っておりますので
お時間ありましたらご記入頂けると嬉しいです。)
*
寝落ちしちゃった!とメッセージ下さった方、
夜はどうしても無理・・という方、
昼間はどんな感じか出てみたい!という方・・
次は第3回を昼間に開催します♪
4月12日(金)10:00~11:30
楽しみに空けておいてくださいね♪
***
昨日のメルマガ読者さんおしゃべり会、
では「今気になっていること」
というテーマを設けて自由にお話しました。
その中で思ったことを、今日は書きますね。
今気になってること、の中で
✔お子さんの習い事のやめどき
✔お子さんの持ち帰り物(図工作品とか)
の捨てどき
✔お子さんの中学受験するか迷ってる
こんな話題が上がったんですよね。
これ、
話題、としてはぜんぶ違うお題なのですが
お話を聞いていく中で
意外にどの話題においても
共通して抜け落ちてるな~
と感じたことが。
それは、
親か子か、どちらかがどうこう、
ってなってないか?
親(もしくは子)の意見は入れないの??
っていうこと。
わかりやすくするために、
習い事を例にとります。
習い事のやめどき、がわからない、
というとき
その背景に
親側は:習い事をやめさせたい
(親側の金銭・時間・心理的負担があったり、
子どもがやめたいと口走ってるのに
いざやめさせようとすると辞めないという解せなさ)
っていう親側、としての事情や都合が
ありますよね。
それが、不快だったり、解せなかったりするから
やめどき(やめさせ時)、について考える。
一方、子供側にも
それを続けている理由や
続けざるを得ないと感じている理由
(ほんとうはやめたいんだけど
そうは自分が自分にさせない理由)
があるから
今、親から見て好ましくないな、と
思うような状態でも
続ける、という選択を取っているわけで。
両者の想いとか
両者の都合がからみあって
つづける、
という「選択」に今、はなっているわけです。
だから
親側からだけ、
こういう風に見えるし、
おかあさんは(おとうさんは)こんなにしんどいし
もうやめてくれい!と
言うことはちょっと違うなと思うし
子ども側からだけ、
こんな理由でやりたいし(やめたいし)
もっとやらせてくれい!(もうやめさせてくれい!)
というのを通すのもまた違うかな~って。
習い事、という1つの何かをなすのに
両者が絡み合ってるわけなので
必然的に
「両者の想いの出し合い」
「両者の都合の出し合い」
「両者のすりあわせ」
って言う作業が必要になるんじゃないかなって。
そこをすっとばして
親から見てやめさせたい~
やめどきってあるの?っていうのは
(やめどき、やめさせる力、を外に求めちゃう)
一瞬それらしい基準を見つけて満足したとしても
親か子か、どちらかにしこりが残る
だろうなあって思いました。
(しこりが残っちゃいけないとか
言ってるわけじゃない。
私なんかしこりだらけの育児をしてきた
とさえ思うし、これからもそれを
創らない自信なんてさらさらない。)
持ち帰り物の取り扱いについてもそう、
中学受験をするかしないかについてもそう、
もちろん色んな基準のお話が
参考になることはあるけれど
最終的に、答えはその親と子、
両者の「あいだ」にしかないのでね。
そんなの、すぐにわかるわけないし、
摩擦は生じるわ、
正直くっそ面倒くさいプロセスは
踏み続けなきゃならないし。
だけども
くっそ面倒くさいプロセスを
わからないなりに踏み続けるからこそ
歩いた先には
認め合う関係性や
信頼関係や
笑って語り継げそうな失敗談や
何より
自分が自分であることへの
尊敬と自信
が
ついてくるんだ、と思いますよ。
どちらか、の視点だけでなくどちらも。
どちらかが譲るとか黙るとか、
強く出て言う通りにさせる、とかじゃなくって。
関係者みんなが
しあわせであれるように努力する、
時間はかかっても
結果として振り返ったときに
そうなれなかったと感じたとしても。
わたしは、そういう家族でいるために
持てる力を使いたいなと思います。
***
今日もあなたの命が
最高に輝きますように。
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