2024.06.24
こんにちは、みーです。
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日々の中で「揺らぎ」ってありますよね。
自分の内側の「揺らぎ」。
(気持ちや身体の変化)
自分の外側で起きる「揺らぎ」。
(夫や子供の病気やケガ、仕事や学校での変化など)
これって、ヒトという生き物として
生きているかぎり、在り続けますよね。
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私の身近な例だと
子どもを預けて仕事や学びの場へ行こうとする。
が、当日朝もうすぐ出るっていうときになって
子供の様子がおかしいと気づいたら発熱している・・
え~!!!ど、どうしよう。
まず先方に連絡して、
こちらは保育を手配して駆けつけるか、
もうあきらめて休むか、
途中から行ける手立てをつけるか・・・
自分の内側も乱れに乱れ、
外側の情勢も巻き込んで揺らぎ、
ああもうどうしよう~~~~ってやつ。
はい、ママの朝あるあるw
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これ、そもそも何で起きるの?って
考えてみたら
たとえば
「仕事は9時に出社しなければならない」とか
「大人の場に子供は連れてこられない」とか
所属しているコミュニティのルール
=揺らがない決められた枠、があって
それが生き物として存在するには必然で起きる揺らぎ、と
マッチしないから起こるんですよね。
所属しているコミュニティのルール、が
なんでもあり、だったら
そうはならない。
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で、この現代の日本、で生きているかぎり
そういう決まった枠=システム、みたいなものは
もう無数にあって
(だからこそ平和や秩序が維持されているんだけど)
それは時として
子どもっていう存在=
一番そういう枠からは遠い動物的なところに近い存在
育児=
一番そういう枠からは遠い生き物が生き物を育むっていうこと
とは超ミスマッチが起きるんですよね。
そういう枠、だからこそ安全な社会に生きているのに
そういう枠、があるからこそ生じる命のリズム、との矛盾。
ちょっと小難しい感じかな、伝わりますか?
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じゃあどうしたらいいのよって
子育て最前線にいながらしてずっと思って
もがいてきたわけなんですが、
そういうシステム、に合わせに行って
命の揺らぎを押さえつけて苦しむ、でもなく
命の揺らぎを主張して
そのシステムが悪いんだよ!と社会運動に出る、でもなく
「揺らぎ」があることは大切にしながらも
自分が自分に対して、
自分の家族という小さいシステムに対して
自分が自由に創れる仕組み、を
自分達仕様、に作る、ということで
どっちが正しい、じゃなくてどっちも、の良さの中で
行き来できるんじゃないかなと。
・
特に私たち女性、や
自分の中の「揺らぎ」=女性性の部分、を
大切にしたい生き方をしたい人、
「揺らぎ」の最前線である育児や介護、を
担うママ、という立場の人、は
\
自分自身が、
自分と子供が、
自分と子供と夫、が
どうその「揺らぎ」込み込みで
快適にシステムを使って生きていける
仕組みをつくれるか
/
が
自分が満たされて生きているような実感を持てるか、に
すご~~~~~~く、関わってきます。
・
夫や父、男性、という立場の人は
その責任感や重圧からまだまだ
「揺らぎ」のほうを優先できない現実があるのも
現代社会としての伸びしろ部分。
妻や母、女性という立場の人である私たちが
まずは自分自身、だけでいいから
その「揺らぎ」を
抑えるでもなくスルーするでもなく
うまく取り込みながらも
幸せに生きていく、という姿を体現することが
きっとこの先の
子ども達や、男性社会や、
色んなことが偏りすぎた現代社会、に
明るい光となって降り注ぐんじゃないかな~と
希望を持っています♪
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抽象的な話でわかりづらかったら
遠慮なくご連絡くださいね~^^
miichan.mizuyo@gmail.com
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今日もあなたの命が
最高に輝きますように。
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