【みー】いつだって自分史上最高の私へ。

2024.08.02

長女行方不明のままだったら、自分に置き換えてみた話。


こんにちは、みーです。





NHKの朝ドラ「寅に翼」を見ています。

見ていない人にはなんのこっちゃい、かもですが
今朝は

開戦したら日本はこういうシナリオをたどって
敗戦する、ということが
事前にわかっていた立場の男性が


自分ひとりでは開戦を止めるなんて
できなかったけど
それでも責任を感じ続けていること、を

吐露した回でした。





見ていてその人の中にある


「自分をゆるさない、ゆるしちゃいけない」
という声と

「ゆるしたい、ゆるされたい」
という声のせめぎ合いが感じられて


私含めて、日本人の根底にある
「罪悪感」という根深い集合意識に

戦争はすごく深くかかわっているんだな・・・と
改めて感じ入っていました。



「なぜ、私じゃなくお友達が」とか。

祖父母からリアルにその様子を聞いて育つことが
出来たわたし、には

そこをリアルに感じられるからこそ、
まだまだやることがあるなと改めて思います。





同時に、

戦争というすこし自分から距離の遠いできごと、
ではなくて

自分の身に置き換えたときに
長女が5歳のときに公園で行方不明になったことを
思い出しました。



夫が、2歳の次女と一緒に連れて行ってくれて
次女の動きに気を取られたすきに
こつぜんと見えなくなったという長女。

電話を受けて、これまで、とは世界が一変して
「なんで、居なくなったの」と咄嗟に出そうになった

夫への責めと、想定してしまう最悪の事態への恐れと
えもいわれぬ失望感を

瞬時にぐっと抑えて



調理中の火を止め、元栓をしめて
鍵をかけて

車に飛び乗るべきか、自転車で探すべきか、
誰に一緒に探してもらうか、
警察にはすぐ電話を・・

ものすごいTODOリストを頭に描いて
1つずつつぶしながら探しに飛び出した、あの夕方。





あの時の自分、というリアルな体験に
照らし合わせて

もしあのまま、長女が行方不明のまま
今を迎えていたとしたら



このまま失うのかもしれないという絶望や
失ってしまったという喪失感を

「あのとき夫だけに行かせなかったら」
「私が疲れているそぶりを見せずに
一緒に行っていたら」

という自分責めや


「なんで2人一緒に見られなかったのか」
「いない、と思ってすぐに私に電話じゃなくて
周りを巻き込んで探さなかったのか」

という夫責めで



「ゆるすもんか、ゆるしちゃいけない」
「ゆるしたい、ゆるされたい」

をくり返すことの苦しさが



その葛藤が
手に取るようにわかるような、気がしたのです。

(今思えばあのころ、それだけ私の心の中は
あらゆる自分責めと他者責めと
どうにもならないことへの葛藤でいっぱいだったのだ
と思います)




事の大きさというのはないけれど

日常の小さいこと、と思うようなことから
大きなこと、と思うようなことまで



この

「ゆるさない」「ゆるしたい」
「ゆるされちゃいけない」「ゆるされたい」

の葛藤は




あらゆるところに絡みついているな・・と
思います。





ドラマでは、吐露をした男性に
主人公の女性が
「分けてくれませんか?」と話したけれども




その苦しさは
「出すこと」「分かち合うこと」で


少しずつ、だろうけれども
「ゆるす」「ゆるさない」の二択ではない

どっちも、ある、の間から産まれる何かに
時間をかけて、変わっていくのだろうと思います。







少し重ためのお話になっていまいましたが

今日のドラマといい
自分の日常で体験したことといい

そして迎える終戦の日やお盆、
今開催されているオリンピックといい・・




その時、はとけないかもしれないけれど

人と人の間で
人の力を借りて

自分の力をちゃんとのせつづけて
そこをとかしていく




「ゆるす」「ゆるさない」の
どちらか、ではない世界

どちらもあるからこそ、手を取り合える世界





あってはいけないものなんてない

いろんな存在がある
だからこそ見える世界、つくれる世界

なしとげられること




私はこれからも追っていくのだと思います。




・・・・・


今日もあなたの命が

最高に輝きますように。






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