【みー】いつだって自分史上最高の私へ。

2023.01.30

何かを自分に強いるとき。


こんばんは。

みーです。


本日もお読みくださり、
ありがとうございます♪








「これくらいお母さんなんだから
やって当たり前。」


「フルタイムワーママだって
時間をやりくりしてる、
みんな忙しい中がんばってる。
ママはそうやるものだ。」











そんなふうな自分の内側の声が湧いて


何か家族からの頼まれごとや
目の前の子ども、夫のために
何かをやらなきゃ、と


何かをやることを選択したとき。








その声、は

あなたのお母さん、おばあちゃん、
お父さん、おじいちゃん、世代が



激動の時代を生き抜くために

生活苦や環境的な苦痛があって
それを乗り切っていくために



自分を犠牲にしてでも

がんばった証、かもしれない。









そして私たちは
目の前、の選択を



今、生きている私が
自分に対してするのか、どうかは



自分が選んでいいのだと思う。








そのとき、

自分が何を感じるか、
自分がどうしたいのか、は

その時間軸の、
その地点の、





自分にしかわからないことで。









強いることを選んだから
けしからん、とか

そういうのはやめようよ!
自分で選ばなきゃダメ、とか


そういうことを
言いたいんじゃない。










そのとき、の私だから選ぶこと。











どんな形になっても

それを選んだ自分を



よく選べたねって

思ってあげることができたら。














何か自分の役割(たとえばママ)っていう

枠があるから強いられた、とか
やらされた、とか


ちょっと違う感覚に

なるんじゃないかな~って。















何かに強いられてやらされる、

気分になってやることも、


「これくらいやらないと」って

言ってくる自分の内側の声も。








何かを守ろうとしていたり、


ここで耐えてでもがんばることで
次はいいことがあるって


しあわせな未来を信じて

したことに、変わりないのだから。











しあわせな未来を思うきもちは

誰しもが一緒だよね、と



その何かを強いる自分の声を発した

相手の背景を想像してみたら。









そこに

やらされた、とか

強いられた、とか、

こう親に言われて育ったから
こう思うことになったんだって








自分を誰かの下、のように思うのとは

(強いられた、と思うような
発言の相手を上にして、
自分のパワーをないものにして
卑下した自分でいるのとは)




ちょっと

違ってくるんじゃないかって思う。











今日は古神道や
様々な宗教に触れながら

日本の歴史をさかのぼる
日本のルーツを探る旅っていう

連続講座に参加してました。


そうしたらこんな文面にw


くり返す歴史、
そこにあったもの、

想いを馳せると感慨深い。


私たちはどこから来たのか?

私の内側の求めに沿って、
いろんな事柄と照らし合わせながら、
私が自分を知る旅は、
続きます。^^





今日も読んでいただいて

ありがとうございました。^^



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いつもお読みいただき、
ありがとうございます^^



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