2024.07.29
こんにちは、みーです。
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幼少期から「優しいね」って
しょっちゅう言われてきました。
「困ってるのかな」
「今ここにこれが必要そうだな」
「なんかほっとけないんだよな」
自分独自のアンテナで感知すると、
考えるより先に、身体が勝手に動いてしまう。
でもその力を
自分よりも他人にばかり使いすぎて
だんだん、疲れを感じるようになりました。
小学校低学年くらいまでは、
嬉々としてやっていたことも多かったんだけど、
いつのまにか。
なんだか自分が損するだけだな、と
思うような体験を重ねた結果、
高校生ごろから
自分からアクションを起こすはやめよう、と
意図的にそういう自分を切り離して、
誰かが困ってそうでも、
助けが必要そうな部分を見ても、
見て見ぬふり、を選ぶようになりました。
どーせ、誰かがやるだろう、と。
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でも私の根底にあるそういう気質は
抑えることができるものでもなくて。
例えば
子供ができてから、
ある役員会で副会長をしていた時も
広報の方から
「私、こういうの自信ないんですう・・
代わりに直してもらえませんか?」と言われた時に
いろんな葛藤がありながらも
もういいや、と引き受けてしまったことがあって。
「自信ないんですう、って言葉で片づけてずるいよ。」と
友達に愚痴ったところ、
「みーちゃんは、ほっとけないんだよ」って
諭されるように言われたことがありました。
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結局、この
「なんか気づいちゃう、
気づいちゃったんだからほっとけない」は
ずっと私の中にあって、
ことあるごとに顔をのぞかせてくる。
気づいたら
脳がGO!を出す前に動いてしまう、
常にフライングスタートしてしまうような存在。
高校からは疎ましくて、その扱いに困った存在。
・
その存在に今の私は、
仕方ねえなあ・・って
目じりを下げたおっちゃんみたいに言いたくなる気持ちと
消えないでいてくれてありがとう、って
母として子を抱きしめたくなるような気持ちと
結局あなたとやっていかなくちゃ、
私じゃないよねって姉御的な存在が
ため息つきながらも微笑むような気持ちと
があって。
なんでそんな気持ちが湧いてきたか、というと
今朝ある方とメッセージのやり取りをしていて
自分の誰か、との「距離感」について
あらためて俯瞰するような機会があったから、
なんですが。
メッセージのやり取りをしながら
自分の「優しさ」の定義とか
そこにある「ほっとけない」が発動した時の力の使い道が
以前よりずっと自分らしく、
気質として持ってきたものはそのままに、
より自分の望む人へ、
より自分の望む使い方へ、
ようやくようやく、使っていけるかもしれないなあって
ほろりとしました。
じんわり、泣けました。
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昨日のメルマガには
自分の声が嫌いだった、と書きましたが
こういう、自分の中で
自分が「疎ましい」と思ってしまう自分、は
ただその存在の持つ力の使い方が
わからなくて、
困っているだけなんだなと改めて思います。
どんなに嫌いだと思う自分でも、
いるからには気づいてほしいし、
見てほしいし、
なかったことにされたくない。
だから、やっぱり、
その力、を呼び覚まして
本来の使い方をしていけるように、
一度は、喧嘩したり、葛藤したりして
その力の使い方を自分で見つけて行けるように
できているのだと思います。
そう思うと、
苦しみや葛藤はなくなればいい、と
思ってしまうけれども、
自分と仲良くなっていくプロセスだと
少し、気が楽になりませんか。
本当に何十年も苦しかったけれど、
その分手を取り合えたときの喜びも
深く、味わい深いのだと、思いました。
・・・・・
今日もあなたの命が
最高に輝きますように。
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